「なぁ、こんな所でなにしてんだ?」
閑散とした町の外れ、鉱山へと続く道の手前に大きな切り株がある。
尤も既に枯れ果て、カラカラに乾いてしまっているものだ。
その上に少年が寝転んでいた。
年の頃は十程であろうその少年は切り株に横たわり、じっと空を見ていた。
見ている…というよりも、睨んでいる、と言った方が正しいのか…琥珀の瞳は空を射殺さんばかりの鋭いものだ。
カナンに晴れる日は無い。
薄曇か、はたまた雨か…太陽を拝むことは無かった。
砂混じりの微かな風を受けて、黒い髪が戦ぐ。
「うるせぇガキだな…あっちへ行け」
寄ってきた子供…こちらは五、六歳だろう。
小さな頭に不釣合いなガスマスクをつけ、そのレンズの向こうから不思議そうに少年を見ていた。
少年は子供を面倒臭そうに一瞥すると、まるで小蝿が寄ってきたかの様に片手で追い払うような仕草を見せてから視線を空に戻す。
子供は懲りずににへらと笑うと「なぁなぁ、なんでマスクつけないんだ?」と首を傾げた。
「マスクをつけないと『びょうき』になるんだぞ」
「知るか」
視線を空から外すことなく、少年は鼻を鳴らした。
薄曇の空から、僅かな光が目に滲む。
色素の薄いカナン人にとってはそれだけでも眩しい。
今日は多分『晴れ』だ。
「おい、アーミー!何してんだ!!」
不意に、遠くから怒鳴り声が聞こえる。
その声に子供は振り返り「ジャックのやつ、めんどくせーなー」と呟くと、もう一度少年を見て羽織っていたマントをおもむろに取った。
そのまま、彼の顔にばさりとかける。
「…ッ!何しやがる…」
急に視界を覆われ、少年はもがいた。
「口だけでも隠しておくと『ちがう』んだぜ。…って、ジャックが言ってた。やるよ、じゃーな!」
「ふざけるな、こんなものいらねぇ!」
くるりと背を向け、走り出した子供…アーミーはもう一度振り返り「雨が降るぞ!」と一言だけ残し、遠くで待っている少年に向かって走り去る。
取り残された少年は、暫く呆然と小さな背中が消えていく様を見ていた。
めんどくせえ、だからガキは嫌いなんだ…ぶつぶつと呟き、所在無くマントを持て余していると、鼻先にぽたりと雫が当たった。
空を見上げる。
相変わらずの薄曇り。
しかし、雫は二粒、三粒…と続き、とうとうざあ、という音を立てて地面を叩き始めた。


『雨が降るぞ!』


子供の声が頭の中でリフレインする。
妙にむしゃくしゃして、少年は手に持っていたマントを地面へ投げ捨てた。






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カナンの中では悪魔の儀式が行われている訳でも、神の御使いが剣を磨いている訳でもない。
その時代からは考えられない様な文明が発達し、主に工場技術が発展していた。
国中に工場が立ち並び、煙突からは常に煙が立ち上っている。
この国は、鉱山で採掘した鉄鉱石を使い鉄鋼を作っていた。
鉄鉱石だけでは強靭な鋼を作ることができない。
鉄鉱石を溶かす高炉、不純物を取り除く転炉、製品へ鋳造する為の熱延工場設備までが揃い、初めて製品への鋳造・成形となる。
その設備が、この国には揃っていた。
しかも、極めて近代的な作りになっている。
国民の殆どが工場に勤めていたが、そうした技術が何処から来たのか…それは誰も知らない。
様々な工場が立ち並ぶ中、一際大きな工場が国の中心にある。
政府の施設の一部であるその巨大な工場が正に国の中心である事をその存在感からも発していた。
当然、各工場で作られた鉄板が運び込まれるのだが、それを使って何を作っているのかは国民の誰も知らない。
それを知っているのは政府の人間とその工場で働く者たちだけだ。
工場で働く者たちも作っている物が『何』か、使用目的はなんなのか、外交も無いのに何処へ運ばれていくのか…それは全く解らなかった。
恐らく、知っているのは本当に僅かな政府の人間だけだったのだろう。
工場を管理する施設、研究所…工場を取り囲むように政府の関連施設が立ち並ぶ中、隣接する施設がもう一つ存在する。
そこは国の子供たちの中でも特定の人物だけが入れる、所謂学校の様なものだ。
建物は更に壁に囲われ、厳重に守られている。天辺に大きな鐘が備え付けられ、国に時を報せた。

国は文明の急速な発展により空気・水・土の汚染が酷い。
空気はマスク無しで出歩けない程汚れ、水も土もそのままでは使えない。
植物は雑草の一本も生えていられない為、食料用の植物は全て国の管理する温室で育てられている。
野菜や穀物類…果実に、戯れに育てられている花から蜜を採ることもあった。
家畜に関しても同じで、国の作った施設内で育てられる。
勿論、植物も動物も太陽の光無しに育てられる為、お粗末なものでしかない。
それでも大切な食料だ。
それらが国から支給され国民の生活は成り立っていた。
ある意味で安定した生活を保っているこの国の問題は空気汚染による公害病である。
国民の殆どに喘息が蔓延し、元々寿命の短い種族だったがここ五〜六年の間に流行り始めた公害病にかかると突然死を引き起こす等、深刻な問題になっていた。
更にこの公害病は空気感染する為、政府は対策として発病した国民を国営病院にて引き取り、無償で入院する様に義務付け公害病の拡散を出来るだけ未然に防ぐ様務めている。
それでも発病してから発覚するまでに時間がかかる為、ある時期を境に畸形児や突然変異体が生まれる様になった。
殆どが畸形児として生まれ、この世に生を受けてから持って数週間…早くて数分でこの世を去る。
寿命は短い、子供は育たない…その為、健康な子供は重宝された。
その中でも稀である特殊能力を持った子供…高度文明の犠牲者達。
彼等は国の施設である[IXION]に特待生として受け入れられることが出来た。
発病した親の遺伝子を引き継ぐ事から公害病を生まれ持っている可能性もあるが、入念な検査をしてもらえる為、早期発見で即座に入院させてもらうことも出来る。
[IXION]に入る子供達は既に未来が約束された様なものであり、将来的には政府内部機関の何れかに配属される事が決まっていた。
但し[IXION]に入った後、親家族との連絡は一切取れないものとされる。
両親に対しては報奨金が払われ、拒否する親は殆どいない。
子供の未来は保障され、金が手に入るのだ。
それでも拒否する親はいたが、強制という訳ではなかったので問題は起きなかった。

アーミーも[IXION]に入る事のできた一人だ。
しかも、健康状態に問題なく今日に至る。施設に入ってから二年が過ぎた。
母親が恋しくなる事もあるが、寂しくは無い。

能力については様々な特徴があり、その力が顕著に顕れる者もいれば、ムラのある者もいる。
例えばアーミーはどちらかというとムラのあるタイプで、特殊能力のうちの一つであるプレコグニション…未来予知は当たる確率が極めて低い。
未来予知の見え方は様々だが、基本的に寝ている間に夢の様な形で表れる事が殆どだ。
例外もあり、例えば幻覚の様に目を開けていても今現在見えているものに重なって視えたりもする。
どちらにしろ、自分にしか見えない事で信じてくれるのは[IXION]の同じ部屋で生活しているリーダーの二人と、特殊能力について研究している博士、それに両親だけだ。
他の者からは当然の様に嘘つきのレッテルを貼られ、何時しか自分から嘘をつくようになった彼は『偽りのアーミー』と呼ばれた。
別に、嘘をついているつもりがあってもなくても、彼の言葉は信じてもらえない。
もっと幼い頃、未来予知が見えると直ぐに口に出し、それが当たる事もあれば外れる事もあった。
当たると気味悪がられ、外れると嘘吐きと言われる。
ならば面白可笑しく嘘をつき、周りの反応を見て愉しんでやろう。
そう思い、大きな嘘から小さな嘘まである事ない事を吹聴して歩いた。

『お前の命は明日までだ』
『大きな地震がきて、街は全滅する』
『三日後、顔中に痣が出来て表を歩けなくなる』

聞いた者が青褪める顔が可笑しくて、アーミーは沢山の嘘をついた。
しかし、直ぐにアーミーの言葉は全てを嘘として受け止められ、アーミーを信じる者はいなくなってしまった。
アーミーは自分のこの能力が大嫌いだ。
こんな力、あっても何の役にも立たない。
なら、どうしてこんな能力が自分に備わっているのか。
この力の存在意義はあるのか。
難しい事は解らない。けれど、ただ嘘吐き呼ばわりされる原因になったこの力はやっぱり厭だった。
しかし、施設…[IXION]に入ってからは少し様子が変わる。
未来予知の内容を話すと、博士が喜んだ。褒めてくれた。

素晴らしい能力だ。

夢の内容をもっと良く聞かせてくれないかね。

何故、嘘だと言い切るのか。

それは、もしかしたら何年も先の予知かもしれない。

アーミーは嬉しかった。
自分の力を褒めてくれる人は誰一人としていなかったし、真剣に聞いてくれる人もいなかった。
両親や幼馴染であるジャックにしても、勿論信じてはくれていたけれど、褒められる事など一つも無かった。

初めて自分の能力が認められた気がする。
やっと、自分の能力の…自分自身の、存在意義を認めて貰えた気がしたのだ。
だからアーミーは[IXION]が好きだった。
勉強は苦手だけれど、もう直ぐで実地訓練もある。
実地訓練で何をするのかは解らないが、少なくとも机の前に座っているよりも楽しそうな気がした。







喉が裂けそうになる程に叫び、町の中心へ…[IXION]へ向かって走り続けるアーミーに町の人間が向ける視線はひたすら疑いの残るもので、信じている者が到底いるとは思えない。
しかし、アーミーは叫び続けるしかなかった。

アーミーの姿を眺めながらみんなが前にも同じような光景を見たな、と思う。
それは、まだアーミーが[IXION]に入れられる前の、数年前の事だ。
あの時は「火事だ!」と叫んでいたっけ
今度はなんだろうね
地震かな
津波かもしれないよ
そんな事を年配の女性が囁き合う。




[IXION]に続く石段に辿り着く寸前で転びそうになりながら建物を見上げると、門の中から少年が現れた。
「何があった」
「ジャック!」
彼は同部屋で生活する一人で、自分を信じてくれる数少ないうちの一人だ。
彼とは[IXION]に入る前からの付き合いで、喧嘩しながらも仲が良く兄弟のようだと言われる。
アーミーは自分を信じてくれる彼に信頼を寄せていたし、[IXION]でも優秀な彼を尊敬していた。
以前、彼に「どうして自分を信じてくれるのか」を尋ねたら「お前の嘘は解りやすい」と答えられた。
彼には幾ら嘘をついても見抜かれる。
アーミーはどことなく少し安堵すると石段を駆け登った。
過去視が出来るこいつなら、或いは…
考えるよりも先に身体が動く。駆け寄り、その手を取った。

訳も解らず取られたジャックの手からはアーミーの高揚した体温と同時に

急激に情報が流れ込む。

身体に電流が走るような衝撃がジャックを襲う。

ジャックは…アーミーの意識に引き摺り込まれた。










to be next stage







































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