殺せ

それは 誰の声?

殺せ

それは 大人の声

殺せ

それは 誰の声?

殺せ!




それは

自分の声




ジャックは得も言われぬ不快感に襲われて飛び起きた。
暑い訳でもないのに全身から汗が噴き出している。
頭が痛い。
乱れた呼吸を整える様に瞳を閉じて深呼吸をすると、辺りを見渡す。
窓の外は真っ暗だ。
まだ太陽が昇るには早い時間なのだろう。
隣で寝ていたエレクトロが眉を顰めながらもぞもぞとシーツを被り直した。

最近では夜、飛び起きる事が多くなった。
同じ夢を繰り返し見る事も増えた。
原因は解っている。

頭が 痛い

膝に顔を埋め、頭を抱える。
耳の奥に残る数々の声


死にたくない

助けて

殺さないでくれ

嫌だ

痛い



やめろ



痛い


恐いよ


痛い


殺せ


化け物

熱い

殺せ

痛い

痛い



殺せ









叫び、逃げ出したくなる衝動
しかし、ジャックは逃げられない。

再び周りを見渡す


煙る空気の所為で月明かりさえ届かない夜は真っ暗だ。
目が暗闇に慣れると、ぼんやりと部屋の輪郭が解る。
静かな空間に静かな夜の音。

上で何か寝言を言っているアーミー

少し向こう側で誰かがいびきをかいている

みんな

みんなまだ自分より幼い。



隣で静かに寝息を立てているエレクトロ

自分が逃げ出せば、次は彼らの番だ。
いや…それも時間の問題なのだが…ジャックは自分だけ逃げ出す事が出来ない。
せめて、

せめて、この発狂しそうな感覚を彼らから少しでも軽減できるのならば
自分が耐え切る事が出来るのならば、きっと彼らに何かを与えてやる事ができる。

狂いそうな夜を、今日も越えよう




この施設は

[IXION] は





        暗

          
             者


          



      
                                   格


   



いつもの様に[IXION]を抜け出したアーミーは国を囲う[壁]の縁に座って外の世界を眺めていた。
[IXION]は無断外出を禁じている。
特殊能力者にとってテレポートは基本的なものだが
テレポートを使って[IXION]の外に出る事はできないようになっている。
どういうシステムかは解らないが、多分目に見えない網の様なものが[IXION]を覆っているのだろう。
しかし、アーミーだけはその[網]を摺り抜ける事が出来た。
その事は[IXION]には秘密で、知っているのはジャックだけだ。
初めはジャックもアーミーを咎めていたが
何か悪さをする訳でもなくただ[壁]の外を見るに留めている為何も言わなくなった。
見渡す限り続く荒野。
壁は高いが、飛び降りる事は簡単だ。
ただ、やはり一人で外の世界に踏み出す勇気は無い。
興味はあるが、未知の世界に一人で飛び出す勇気はまだ12のアーミーには持てなかった。
国の外の情報は殆ど与えられない為
気まぐれに[壁]の上へ訪れては荒野を眺め外の世界に想像を膨らませる。
昔、読んだ絵本の様な緑色は果てない荒野の先のどの辺りに位置するのか
きらきらと光る海はどんなに大きいのだろう
空気の澄んだ世界は本当に存在するのか…
そんな事を頭の中で勝手に配置しては満足して帰る。


今日も、そうして帰るつもりだった。
帰ろうと町並みを振り返った瞬間、アーミーの瞳に飛び込んでくる光景。


町を振り返ると、火の海が広がっていた。

いや、これは…
町の情景にフィルターを重ねた様な光景。
ガスマスクをつけた町をゆるりと歩く人の間を擦り抜け、人々が逃げ惑う。
工場からはいつもの煙ではなく黒煙が立ち込める。
あちらこちらで小爆発が起こる。

これはなんなんだ。
見渡す限り町が炎と叫びで染まる。
ぞっとするような、赤。


暫く呆然としていたアーミーは再度荒野を振り返った。

荒野の果てに何か黒い影が見える。
それは荒野を進み、段々近付いてきた。
ぞくりとアーミーを通して…ジャックの背筋が泡立つ。

人だ

それも、とてつもない数。
それがなんなのか、アーミーには解らなかった。
しかし、不吉な予感は肌を通して伝わってくる。
頭が危険信号を送ってくる。


ジャックはすぐに解った。
あれは


軍隊だ



何処の軍隊かは解らない。
真っ黒な無数の影の塊。
それが、蟻の行列の様に荒野の向こうから連なってやってくる。
徐々に、その全貌が明らかになると旗が風を受けているのが目に入った。

鷲が、こちらを睨んでいるような錯覚。
あれは、プロイセン王国の…



アーミーを通して、ジャックは青くなった。
カナンに軍事力は殆どない。
山間にひっそりと佇み、[壁]に護られた国は外界から断絶されていた事により
必要以上の軍事力を持たなかった。
持つ必要が無かったのだ。
[壁]の持つ力は物理的なものだけではない。
特殊能力者によって結界の様に張り巡らされた監視の[眼]があったからこそ
今までこの国は守られてきた。
近付くものに幻覚を見せ追い返し、万が一この国に接触できたとしても余所者はすぐに捕まった。
捕まった後の者がどうなるか、ジャックは知っている。
一度だけ見た事があった。
殺す事は無いが、二度と故郷には帰れないだろう。
しかし…あれだけの兵隊が近付いてきている。

大丈夫だ、すぐに全員幻覚に惑わされ、逃げ帰る。
幻覚は、その人の一番恐れているものとなって現れる。
泣いて逃げ帰れ、愚かなプロイセンの民よ。



しかし、軍は逃げ帰るどころか、どんどん近付いてくる。
どうなっている。
[眼]の力が効かないのか。
ジャックは困惑した。
今まで、こんな事はなかった。
[眼]の力は絶対であったし、この国に近付けるものなどない。
無い筈だ。

不意に、こんな話を思い出した。
[Goat-Sheep Effect]
特殊能力に対し、信じる者には絶大な効果を発揮するが信じぬ者には効果が現れ難いというものだ。
しかし、何故…この国の特殊能力について知っているのは国の人間だけのはず…
ジャックが思考を巡らせている間にも軍はどんどん近付いてくる。
武装した人間の群れが…山羊の群れが、近付いてくる。





『ジャック!』

アーミーの記憶に同調したジャックの意識は現実に引き戻された。
若干のバッドトリップで頭が昏々する。
目を瞑り、頭を数度振るとジャックはアーミーを見た。
アーミーは顔を青くして掴んでいたジャックの腕を強く揺する。
「早く…早く逃げないと…!」
「待て。あれは何時のビジョンだ?それに、どれだけ先の未来か…」
「知らねぇよ、わかんねぇ!」
アーミーの未来予知は本当に不安定だ。正確かも定かではない。
しかし…軍の装備…カナンの街の情景から察するに、そう遠い未来ではないのだろう。
喚くアーミーを尻目にジャックは回転の良い頭に思考を巡らせた。
100年先であろうが、1分先であろうが未来は未来。
アーミーの能力はそういうものだ。
彼は偽っている訳ではなく、情報が不確か過ぎて『当たらない』のではなく『当たっても認識されない』
加えてアーミーが己の見たビジョンをどう伝えていいのか解らないところにも原因がある。
さて、この情報をどう捉えるか…
「兎に角、落ち着け」
時間があるのか無いのか。
無い事を想定するならば、一刻も早く此処から離れる事を考えなくては。
町の人間全員を連れて逃げる事は不可能だ。
まず[壁]の持つ力は対外的な要素だけではなく対内的な要素も併せ持つ。

町の人間が、この国の外へ出ることなどまるで想定されていない。
それ程に[壁]の力は絶対であったし、町の人間が[外]へ出る事はまず許されなかった。
本当に閉鎖的な国なのだ。

だとすれば、テレポートが使える[IXION]の子供達だけでも逃がす事は可能か?
否…テレポートが使えるとして、町の外へ逃げ出せるか…安全な所へ必ずしも抜けられるか…
それは解らなかった。
しかし、何もせずこの場で犬死するよりはマシだろう。
それならば…

《エレクトロ…聞こえるか?》
《聞こえるよ、どうしたの?》

エレクトロはジャックと同期の強い感応力を持つ能力者で
幼い頃から足が不自由だったらしく身体能力は低いが、感応力が強く特殊能力については優秀だ。
通常、テレパシーは一対一で行うものだが、エレクトロは複数に思念を飛ばすことが出来る。
周りからの信頼も高いし、上手くみんなを促す事ができるだろう。
あとは個々の能力値に任せるしかない。

《この国はもう駄目かもしれない…みんなを上手く誘導できるか?》
《待って、それってどういうこと?》
思念の向こう側でエレクトロが眉を顰めるのが解った。
しかし、説明している暇はない。
《アーミーの未来予知だ。俺も見た…できるか?》
ジャックは問いを繰り返す。
兎に角危険である事だけは理解し、エレクトロは少しの間思考を巡らせた。
《…解った、やってみるよ。ジャックはアーミーをお願いね》
《ああ、俺はテレポートが苦手だから上手く行くか解らないが…こいつは上手い事やるだろう》
そう言ってジャックはアーミーの頭を軽くぽんと叩いた。
拍子に少し大きめなアーミーのヘルメットがずれる。
《アーミー?》
エレクトロの思念がアーミーに及ぶ。
アーミーはヘルメットのずれを直しながら顔を上げた。
《エレク…》
《そんなに不安そうにしないで。大丈夫、きっとみんなで会えるから。
だから、今は自分の事だけをしっかりと考えて。無駄な思考は失敗に繋がるからね。
自分の力を信じて》
優しい声…エレクトロの声はアーミーに安心感を与えた。
エレクトロならきっとみんなを助けてくれる。
そう信じて…

アーミーはこくんと頷いた。
《解った。俺は大丈夫、エレクトロも…早く逃げて》
《ありがとう。僕に出来る限りの事はするからね、心配しないで》
「さあ、もう行くぞ」
ジャックが口元を引き締める。



遠くで、誰かが叫ぶ声が聞こえた。

侵攻が…始まったのか

「ま、待てよ、みんなが…」
既にテレポートしようとするジャックを引き止めるように、アーミーは力をこめる。
「町の人は…」
高炉の方から、工場の煙とは違う…黒煙が上った。
恐らく、火がかけられたのだろう。
「ここはもう駄目だ。工場に火がついた以上、大きな爆発は避けられない。今逃げなければ、命はない」
ジャックの決断力はいつも正しい。正確な上に迅速だ。
だからこそ、腹立たしい。
そうやって、あっさりと他人をどうして切り捨てられるのか…アーミーには解らなかった。
幼い頃に別れた父は、母は…隣に住んでいたあいつは…向かいのおばさんは…
アーミーの中には…もう半分程おぼろげになってしまった[IXION]の外の人たちの顔が浮かんだ。
しかし、目の前のジャックには何の迷いも無い。
自分さえ助かればいいのか…?
…そうじゃない、きっとそうじゃないんだ。
まだ、アーミーには解らなかった。
しかし、ジャックに従っていれば間違いない。
だって、ジャックはいつでも正しくて…


エレク、エレク…みんな、逃げろ…!


アーミーは可能な限り思念を飛ばした。
この危険な状況が正確に伝わらない事がもどかしい。
どんなに褒められたって、自分はまだ未熟だ…力が欲しい。

「アーミー、行くぞ」
ジャックの声に伏せていた瞳を上げた。
見上げる横顔は真っ直ぐとどこかを見ている。
その腕はアーミーに伸ばし差し出していた。
「お前はカナンから出たことがないから難しい…大丈夫、自分の力を信じろ」
「でも…」
テレポートには場所のイメージが大切だ。
知らない場所には行けないし、もし失敗すれば何処に落ちるか解らない。
長距離のテレポートをアーミーは試した事が無いので、どうイメージすればいいか解らなかった。
「掴まってろ。同じ場所に辿り着けるかは解らないが、少しでも外へ出られる確率は上るかもしれない」
程近い場所で爆音がした。
見上げると、研究所から火が上がっている。
もう、迷っている暇はない。
アーミーは覚悟を決め、ジャックの手を取った。
「成るべく、俺と意識をシンクロさせろ。余計な事は考えるな」
瞳を伏せる。
ジャックの手から伝わる体温に意識を集中させる。
大丈夫、きっと、上手く行く。

「誰かいるぞ、捕えろ!」
アーミーが振り返ると異国の鎧を纏った兵士が3人、階下に駆け寄っていた。
「アーミー!気にするな、意識を集中させろ!」
ジャックが叫ぶ。
アーミーはもう、どうしていいかわからない。
兎に角、ジャックに言われた通りに再び意識を集中させる。
兵士が階段を駆け上る音が聞こえた。
(早く、早く逃げないと…!)
ジャックが空いている方の拳を握り、力を篭める。
ぶすぶすと燻る音がする。炎はジャックの腕を包み、空気を飲み込む様に燃え上がり始めた。
「…なんだ………化け物め!」
兵士は一瞬怯んだが、直ぐにジャックたちに向かって突進してくる。
炎の加減を見てジャックは薙ぎ払う様にその炎を兵士に向かって振るった。

兵士は炎に包まれ、鉄と肉と髪の焼ける嫌な臭いを放ちながら断末魔を上げる。
叫びは町にこだまし、炎に呑まれ、兵士の命と共に消えた。



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